探究日記

20代前半の若者が日々感じ取ったことを綴ります。

歌舞伎町の清掃員のおばちゃん

  ちょっと気分転換がしたく、11月初めの三連休に東京に行った。この三連休に本当にたくさんの経験をし、また一つ成長できた気がする。この経験はとりあえず脇に置いといて、今回は三連休明けの火曜、東京を去る日の夜の出来事である。

  東京訪問の最終日ということもあり、友達と二人でご飯に行くことになった。夜行バスの出発場所が新宿だったので、場所は新宿で選ぶことになった。最近チーズにはまっているのと、逆さ肌寒い季節になっていたので、暖かいチーズフォンデュを食べることに決まった。

  友達は夕方に用事があったようで、少し早めに新宿に着いた僕は歌舞伎町をぶらついたみた。歌舞伎町に行くのは久しぶりというわけでもないが、行くたびに新鮮な気分を味わえる。それほど大きな街ということだ。新鮮な体験が事欠かない大きな街。

  ぶらついている最中トイレに行きたくなった。これが困ったものなのだ。こんなに建物がたくさんあったとしても、自由に入ってトイレを使えるような建物はほとんどないのだ。これがエゴイズムの成れの果てだと言わんばかりに、どこもかしこも頑固にトイレを貸してくれない。

  そんな風にして焦っている時、大きな建物の一階を掃除しているおばちゃんを見かけた。歳は大体60くらいといったところで、肌はツルツルしているが、シミやシワが目立ち、腰も曲がっていた。歌舞伎町のいかがわしい店も立ち並ぶところだったので、

「昔はキャバクラか風俗かで働いてた人なんだろう。今は歳とって本職が出来ないから清掃の仕事をしてるんだろうな。」

なんてことをボンヤリと思い浮かべた。

  そろそろ我慢の限界に近づいてきたので、仕方なく彼女に尋ねることにした。

「あの〜、この辺で自由に使えるトイレってあったりしますか?今緊急で。」

「そうだねぇ。ここのトイレはメダルがいるから使えないんだよね。本当はあんまり良くないけど、ここの建物の三階に映画館があるんだけど、そこの正面にトイレがあるからそこ使ったら良いよ。」

  笑顔で、物腰低めに、優しく、親切に返事をくれた。予想外だった。お金もくれない、何者でもない僕にこんな対応をしてくれたのだ。もっと、きつい口調で「そんなところないよ。」と突き返されることを想像していたので、びっくりしてしまった。

  教えてくれた映画館に行こうとした。しかし、その場所はすぐに分からなかったので、一旦引き返すことにした。そうしたら、また先ほどの清掃員のおばちゃんと遭遇した。

「あれ、映画館行かないの?」

「映画館の場所が分からなくて。」

「こっちだよ。ここ真っ直ぐ進んで、エスカレーター登ればすぐ着くよ。」

  彼女は再び優しさに溢れた笑顔で、僕に映画館への道を教えてくれた。このエゴイズムの只中で、ただひたすらに他者である僕に親切に対応してくれた。

  僕はこの時パッと気付かされた。僕はエゴイズムを嫌っていたが、僕の方こそ偏見に満ちたエゴイストで他者を見くびっていたということに。そして、彼女は僕の間違いをこの瞬間の間に気づかせてくれた。はたから見てみたら、ただトイレの場所を教えてくれただけだが、その物腰、その笑顔、その親切な口調が、エゴイズムの只中で蠢く、僕一人を救ったのだ。

  偏見は恐ろしい。知らぬ間に人を見くびるから。そして、笑顔や親切な口調は素晴らしい。何気ない瞬間であっても、人間の尊厳や価値をそこから見いだせるのだから。

  ありがとう、清掃員のおばちゃん。スッキリしました。おかげで心も体も満たされて帰れました。