スーパーの中の人々
昨日予感したことが当たってしまった。進撃の巨人を59話まで全部見終えた。その代償として怠惰な生活に逆戻りしてしまった(笑)。
ずっとベットに寝転がって、進撃見て、寝てを繰り返し、お腹空いたらスーパーにいくという超自堕落な生活を送った。でも、これも大学生の今しかできない生活なのかと思うと、少しいい体験をしているような気持ちにもなった。社会人になったらこんなことは許されないのだし。
スーパーは人でごった返していた。近所にある安値で生鮮食品を買うことができるスーパーなのだが、土曜日ということもあり、とてもたくさんの人で賑わっていた。コロナ感染者がいたら一発アウトというくらい、密集していた。
少し警戒心を強めるとともに、久しぶりの人混みだったので、なんだか嬉しさもあった。人間的な暖かさも感じることができた。この頃人とあまり会っていないので、見ず知らずの他人ばかりではあったものの、癒された気がする。
スーパーの中には本当に多様な人がいる。子供、主婦、学生、老人。皆が同じように、食品を眺めて、少しでも安く済ませようと必死である。どんな人でも生きるためには食べることが必要で、その糧を手に入れるために必死になるその表情の中には、生物としての人間の力強さが垣間見られる・・・。と、いうような詩的な感覚に一瞬襲われた。(時々こういうことを呟きたくなる・・・。)
さて、今から寝るまで何するか。数学をやった方がいいだろうか。いや、大学生活残り僅かなわけだ、好きなことをしよう。自堕落にならない範囲で。
zoomでしゃべくり
今日は高校時代の友達と6時間以上語り合った。永遠と話し続けられる友達もそんなにいないので、貴重な時間だったなあと思う。特に、最近はコロナの影響で、人と話す機会が極端に減ったこともあり、ポッカリと開いた心が満たされたような感じ。非常に満足した1日だったなあ。
おすすめの映画やYoutuber、さらにはプログラミングの話など、自分にはない視点での話を聞いて、刺激をもらえたし、怠惰をさらに抜け出すきっかけにもなった。UnityでVRゲーム作りたいとか、機械学習極めたいとか、レヴィナス哲学理解したいとか公言したので、次話すときまでに頑張ろうというモチベ作りとしてもすごくよかったな。
あと、今一度、幸福と目的性、さらに人生における目的性とゲーム性、これとXR関係の技術がどう交わっていくのか、そこにおける倫理の意味は何か、感情、心、脳の関係とは、とかとか、Weekly Ochiaiに出てくるテーマについても考えるきっかけとなったかな。話す中でぼんやりとこの辺りのテーマが少し進展した気がした。
さて、今日はこの辺りにして、進撃の巨人を観よう。久しぶりに観たけど、めっちゃ面白い。目的なく怠惰な生活をしばらく送っていたので、こうやって楽しみを見出せるものが見つかることはありがたいなと思うこの頃。こうやって、再び怠惰の泥沼にハマらなければ良いのだが・・・。
明日はゼミのために少し数学をやろうと思う。あまり乗り気ではないが、少しだけでも感覚を取り戻しておかないとな・・・。うーん、しかし、本当にやる必要あるのだろうか。今日の夜、今一度考え直してみよう。
Weekly Ochiaiにハマった話
最近、News Picksの学生会員になってWeekly Ochiaiをみるのにハマってしまいました。研究室は違うけど、よく一緒にゼミをする友達に勧められて、見てみたのがきっかけです。
毎週、落合さんと佐々木さんの二人にゲスト数人を加えて、現代社会に潜む問題の解明や今後の指針を探るための白熱した議論が行われているのだが、どの回もハズレがない良い番組だと思っています。
今はシーズン3と4を視聴しているんですが、その中でも、ソーシャルゲームの話と、オーラの話、あと結婚の話が面白かった。デジタル時代における社会ルールの設計と、ゲームにおける物語性を掛け合わせたり、現実世界における一回性のオーラと技術的発達による高解像度映像から感じるオーラを掛け合わせたり、現代における尊厳と神性を論じたり、テクノロジーと哲学的トピックがどっちも好きで、どっちも語ってほしい人にとってはウハウハするような内容ですよね。
この二日間、こんな感じでWeekly Ochiaiにどっぷりハマっていたのですが(ハマったといってもまだ二日間(笑))、これを機に、今一度、他者と向き合うこと、尊厳と神性について深く考えていきたいなと思いました。同時にNetflixでエヴァを見たこともきっと影響しているでしょうが(笑)。
と、いうことで、朝井リョウさんの小説とレヴィナス哲学をじっくり読んでいこと思います。あと、大江健三郎かな。それと、VR開発にも手をつけていきたいなあ。(これは今後仕事でもやっていくことになりそうだし。)
自堕落な日々を送っていたが、急にやりたいことが増えて忙しくなりそうだ。(このモチベが続けばの話だけど・・・) 小説、レヴィナス、VR。それと、数学かな。
詩的なこと
過去公開していた自分の記事を少し見返してみた。思いつくままに記述していたが、「詩的なタッチ狙いにいってて痛いなあ」って思った。
と同時に、詩的なことって、感情と自然の共鳴なんだろうって少し理解が深まった気がした。
痛いなあって思った記事を少しだけ再公開してみた。昔の自分を少しでも受け入れてみるって意味も込めて。それにしても痛い(笑)。
今後、何か書くときはもう少し、読み手のことを考えて書くように意識していこう。思いのままに書き連ねることも大事ではあるが。
怠惰な日々と今後
ちょうど1週間ほど前、第一志望の企業に内々定が奇跡的に決まり、就活を終えることができた。長かったような短かったような激闘の3ヶ月であった。(この3ヶ月の激闘の日々はきちんと文章化してまとめておきたいなと思う。)
就活が終わってから、死ぬような毎日を送っていた反動からか、全てに対するやる気がなくなってしまった。ここ1週間くらいYoutube見て、寝てを繰り返す無気力状態が続いていた。コロナの影響もあり、部屋から出ることがあまりないので、本当にこの無気力地獄から抜け出すことができずにいた。
リズムで生きていたのだなと思った。以前は勉強のリズムで、就活のリズムに切り替わり、そのリズムが就活の終わりとともに消え去り、リズムが消えた。今一度、勉強のリズム感を取り戻したいと思う。
そのリズム感を取り戻す一環として、再び日記をつけることにした。これからそこそこの頻度で日記をつけていきたいと思う。
そういえば、なんで自分のメモ帳の中で済まさないのか?と疑問に思ったことがあった。日記なら公開する必要がないんじゃないのか?恥ずかしくないか?と。しかし、その一方で、自分を見てもらいたいという自己承認欲求と顕示欲も持ち合わせている。つくづく人間は矛盾した感情を抱きながら生きているのだと思った。だからこそ、心は数値化できず、工学的な実現が難しいのだろう。(矛盾したことを数学的に記述することはできるのだろうか?数学的であるとは無矛盾であることであるなら不可能ではないだろうか?)
そして、繰り返しになりそうだが、この矛盾した感情こそ、倫理の源泉のような気がしている非常に注目すべきに値するポイントであると考えている。今後も倫理について考えていくとともに、数学と矛盾について少しずつ考察を深めていきたいなと思っている。やっぱ興味あるのは、数学と論理学と倫理学、それと計算機科学なんだよなあ。思いつくまま書き連ねていたら少しやる気が出てきた。(モチベ継続って意味でもアウトプットの場を持つことは重要ですね!)
過去を振り返るということ
面接前日に体調を崩しました。微熱で鼻水が出る。完全に風邪ひきました。たくさんESを書いたり、人混みの中を何度も行き来したりして、ちょっと無理をしたんだろうなと思います。
でも、別に凹んでなんかいないです。むしろ、風邪ひいてる時に面接を受ける方が、本当の自分を見てもらえる気がしてラッキーな感じがしてます。そう思えるぐらいに、なぜか心に余裕があります。精神的に成長できているのかもしれません。色んな経験をして、幾多の困難を乗り越えてきたからそう思えるのでしょう。
今振り返ってみると、物心ついた頃から色々なことがあったなと思います。特に、友達との付き合いの中で色々あったなと思います。女の子との付き合いには乏しい僕ですが、男友達との付き合いは濃厚で、誰にも負ける気がしないくらいです。書くと長くなるので今は書来ませんが、嬉しいことから悲しいことまで、五万という友達との間での思い出があります。この思い出によって、今の自分の価値観が形成されて、今の自分が出来上がっているのだと、振り返るとハッキリと浮かび上がってきます。
就活では、自分をアピールすることをしばしば求められることが多いのですが、このアピールとは何なのか。ありのままの自分を見せることだと自分なりに解釈しているのですが、そう考えれば、何も難しいことではないはず。もちろん、相手にわかりやすく伝えるための努力は必要ですが、ありのままを素直に話すだけなら、そんなに努力は必要ないはず。明日もありのままに、昔の思い出に浸りながら、正直に自分をさらけ出してきます。
「過去を振り返るな!今だけを生きろ!」とよく色んな方々が言いますが、これには僕は反対です。確かに、新しいことを始めたり、とにかく実践が求められる場面においては必要な考え方なのでしょうが、生きていく中で、新しいことをしたり、ビジネス的実践をする以上に大切なことは山ほどあると思っています。そして、その大切なことをする上では、過去を振り返ることは本質的に重要な行為であると、個人的には思ってます。その中でも特に大事なことは、他人に共感すること、だと思います。共感するには経験が必要であり、その経験を思い出すことが必要です。思い出す時、それは過去を振り返っているのであり、日々過去を振り返る行為が、目の前の他人の仕草に対する即時的な共感に繋がる。
いつも昔話にふけっている田舎の方の友達を倫理的で道徳的だと感じる瞬間が多々あります。これはきっとこういうことなんでしょうね。もちろん、過去を振り返ってばかりじゃ、刺激も少なく楽しくないですが。この葛藤が経済を回し、芸術を生み出し、文化が発展して、そんな気がしてならないのです。葛藤。創発。過去、未来。葛藤の日々がいつまで続くことやら。
今の気持ち
留学を断念し、就活をすることになりました。いざ就活を初めると、就活のことを何も知らない私を心配して、周りの友達が親切にアドバイスをくれました。人の優しさを知り、生きることに希望を持てました。小さなことでクヨクヨと悩んでいた自分が馬鹿らしくなり、ポジティブな人間に変わっていくのを感じました。
自己分析を日頃からしていた私は、特に悩むこともなくエントリーシートに文字を埋めていくことができました。知らない人と会って話すことも苦じゃないので、説明会や人事の方と話すことも楽しめた次第です。自分のことを話すことは気が引けるものの、苦手ではないので、面接も難なくこなしています。今年になってから始めたばかりの就活でしたが、まるで1年も2年もやっているかのように自分の習慣となり、日常に溶け込んでいます。
時々就活をやりすぎて、ストレスが溜まり、どうしようもなく疲れてしまう瞬間もありますが、周りには優しい友達がいて、愚痴を聞いてくれたり、何気ない映画の話で笑い転げたり、これからの人生のことを語ったりして、私のどうしようもない疲れを吹き飛ばしてくれます。
本当に感謝しかありません。人間を軽蔑し、関係を断っていた私ですが、心を開けばこんなにも暖かく、人や社会に迎えてもらえるのかと、骨身に染みる思いで感じ、涙が溢れます。
助け合いなんだと、チームワークなんだと、気づかされました。1人で生きていける人はいないだと、知りました。いくら天才だとしても、孤独には勝てません。どれだけ美人でスタイル抜群でも、ブサイクに飯を食わせてもらっているんです。1人で生きていけるという人も、社会インフラは使うわけですし、巡り巡って、人の助けを借りているんです。
あぁ、こんな自明なことに今更何感動してるんだ、私。今までなら「そんなこと自明じゃん。馬鹿なの?」と言っていたようなことに、何深く感動してるでしょうね。自明だけど、自明じゃない。演繹だけではなく、経験してみなければ分からないことだってあるっていうことでしょうね。
人は人に生かされている。人と共に生きている。互いを受け入れ合い、違いを認め合い、尊重し合う。これこそ、真のコミュニケーションであり、何にも増して重要なことだと思えてくるのです。ここにこそ、宗教や哲学の基礎があると思えてならないのです。人間が生きるということにおいてなくてはならない価値観の基礎があると思えて仕方が無いのです。
こういう、素直な気持ちをこれからも文章として表現していけたら良いなと思っています。
まだ就活は始まったばかりです。本当に行きたい企業の選考はこれから始まります。最後まで諦めずに頑張ります。後悔をしないように。