探究日記

20代前半の若者が日々感じ取ったことを綴ります。

敗北した挑戦者

 昨日は朝から写真撮影の仕事をしに、40分かけて自転車を走らせた。最初はとても寒かったが、時間もなかったのでペダルを全力で漕いだ。途中から体が熱くなってきた。外の気温と、体温の差が絶妙な点になり、気持ちよく感じた。

 日曜の朝の道路はいつもと違って落ち着いていて、自転車を漕ぐ僕みたいな人にとっては都合の良い時間帯だ。気持ちのいい風が、日焼け止めを塗った顔の肌を吹き抜ける。今日は昨日よりはいい日になりそうな気がした。

 朝の風が吹き抜けるビルの間の歩道に、人々の姿を見た。人々は実に様々な格好をして、歩いたり、つったたりしていた。スーツを着て毎週同じ時間に同じ場所を歩いている男、ホテルから出てくる若い女、コンビニの喫煙所でタバコをふかす中年、道端でモーフを広げて寝ているホームレス。

 この街には、たくさんの種類の人間が生息し、街を形成している。街の平安や活気は、きっと、この多様性が支えているのだと思った。近年の日本社会を覆っている同調圧力に屈することなく、これらの人々は立派に生きている、そうも思った。

 自分とは全く異なる格好の人が本当にたくさんこの世界には存在している。そして、これらの人にも、自分とは同じような意識があるのだと思うと、時々驚愕することがある。人間の神秘、自分の力では到底及ばないものが、この世界にはあるのだと、つくづく思う。

 こんなことを思っていると、いつの間にか仕事場についた。40分という時間は家を出る時には長く感じるが、あとで振り返れば一瞬だったように感じる。この意識経験としての時間についてはもう少し深く考察してみたいと思う。

 はじめは社長と僕の二人だけだった。仕事をし始めた当初は、理不尽な言動で困らせてきた社長だったのだが、最近は顔が柔らかくなり、幾分接しやすくなった。寿司屋の職人とは大違いだ、全く。

 社長から興味深いことを聞くことができた。社長の昔勤めていた会社は、写真の撮影・販売の他に不動産もやっているところだったらしく、不動産がらみの闇をよく知っているとのことらしい。何気ない会話の中で、そう口走っていた。

 その闇とは、暴力団がらみのことである。借金を抱えてどうしようもなくなった家には、暴力団が嗅ぎつけ、不動産会社も介入できなくなるらしい。彼らがその家を安く買い叩いて、活動の資金源にするのだという。

 社長はこの話を通して、経営者、リスクを犯して挑戦することがいかに危険な綱渡りであるか、ということを語った。経営者で、事業拡大を目論見、それが失敗し、借金を抱え、返済不可能になる。こんなことは挑戦心のあるものになら、誰にだって起こり得ることであることを感じさせた。実際、社長は、青年時代のバブル崩壊期に、たくさんのそういう敗北した挑戦者をみてきたのだそうだ。

 敗北した挑戦者は、借金を抱えた挙句、家や土地は暴力団に奪われ、家族や親戚に見せる顔がなくなる。雑踏へと逃げ込み、身元をくらまし、浮浪者、ついにはホームレスとなるのだそう。現に街角で見かけるホームレスは、敗北した挑戦者であるということである。

 ホームレスを見て、つくづくその生きる意志の強さに驚かされることがあった。なぜそこまでして生きるているのか、と。もちろん、何も考えていないから、というのも一つの答えだろう。しかし、それ以上に、彼らは挑戦者であったのであり、生への強い意志が生得的に備えられており、その生得的なものに逆らえずに、生き延びざるを得ないのだろう。

 「ああ、人生よ。偶然に翻弄され、強きものが堕ちていくこの世が、一体正常であると言えるだろうか?」

 ホームレスに対する眼差しがまた少し変わりそうである。彼らの奥に眠る、汚れてしまった宝石が、僕の中では輝き出した。汚れたままに。