探究日記

20代前半の若者が日々感じ取ったことを綴ります。

さらば青春の光

 昨日はゼミに参加したのち、友達Hとファミマに行った。行く途中に最近ハマっていることを語り合った。Hは最近心理学の本を読んだらしい。その中で、鎖に繋がれた像の話が興味深かったので、僕に話してくれた。

 幼い頃から鎖に繋がれており、抜け出そうとすると罰せられる環境の中で育った像は、大人になって鎖を引きちぎれるほどの力を持っても、抜け出そうとしない、という話だ。教育についてと現状打破について考えさせられる話だった。特に、現状打破について考える際にはいい題材な気がする。自分ができないと思っていることは、ただできないと思い込んでしまっているだけなのではないだろうか?反省する姿勢を持ちたいと思う。

 ファミマから出ておしゃべりを続けていると、タバコを吸いに来た友達Oと遭遇した。彼とは気が合う仲で、会えば冗談言い合って話が盛り上がる。彼といると楽しくなる。おちゃらけた道化的雰囲気を持ちながら、芯の通った図太い心の持ち主、こんなところ。

  「やあ、久しぶり。タバコ吸いにきたんか?」

  「そうやで。ここで吸ってると知り合いたくさん通るから恥ずかしいんだよね。」

   「みんなタバコ吸ってること知ってるから恥ずかしがらんでもいいんじゃね?」

  「ところで、最近なにやってんの。授業も見なくなったし。」

  「なんもやっとらんわ。強いて言うならバイトくらい。海外のために。」

  「お前はほんと極端やな。一つのことに熱中できるけど、バランスとるのは下手だよなぁ。YouTuberにでもなったら?うまくいくかもよ。」

  その通りだと思った。僕は一つのことに熱中できるが、いつものことをバランス取りながらやっていくのが苦手だ。立派な社会人ってやつは、きっと、バランスよくいろんな事をこなせるやつなんだろうな。仕事、仕事上での人間関係、家族、友人、彼女、趣味、近所づき合いなどなど。そういう、社会から要求される沢山のことを同時にこなしていくこと、これが重要なのだ。社会人とこういう人なんだ。

  「どこに就職するつもり?」

  「研究職がいいなと思ってるわ。だから、冬のインターン、研究職で申し込んでみる。俺には研究職が向いてるわ。何より客との対面がない。ストレスが少なそうなんだよ。あ、電話や。」

  Oのところに先輩から電話があり、至急研究室に戻らなければならなくなった。それを機に僕も帰宅した。帰宅した後、若干の空腹感があったので行きつけのガストへ向かった。いつもの日替わりランチを注文し、食べ終わると、本を読み始めた。太宰治の「東京八景」を読んだ。彼の文章は内容はともあれ、美しい。こんな美文を書けるようになりたいと改めて思った。こういう反省を繰り返して目標に到達していくのだ、そうと思って、自分のやっていること、考えていることを正当化した。

  ガストでしばらく過ごした後、映画館へ向かった。昨日は久しぶりに友人OKと映画を見る日であった。僕は9月に入ってから彼を2週間に1回ほど映画館へ誘うようになった。彼の人間性が好きで、なんとか彼と交流を持ちたいと思っていたのと、何より二人とも映画を見るのに植えていたので、積極的に誘った。くだらない人生の門出、彼の場合は就職、に対して、メンタルをやられないようにするために。もっと、深く人生を洞察し、より良くいきられるように。というのは建前に過ぎないかもしれない。

  さらば青春の光、という映画を見た。この映画はずっと昔の映画らしいが、最近フルカラーでリメイクされたらしく、それを僕らは見た。まあ、リメイクされるくらいだから名作なのだろうと思って期待して見た。結果、期待通りのいい作品だった。

  モッズという戦後のイギリスの若者文化についての映画で、その主人公(ジミー)が、まあ破天荒。モッズ一派に属し、友達夜遊びに明け暮れ、好きな人もできる。ただ、皆の注目を浴びたくて、好きな人に振り向いて欲しくて、自分の存在感を高めるためだけに破天荒を演じるしかなかった。しかし、そんな彼を社会は許してくれず、彼はついに逮捕されてしまう。

  そこからどん底へ突き落とされることになる。仕事も辞め、友達と喧嘩別れし、好きな人にも振られる。尊敬していた先輩にも裏切られ、行くあてがなくなり、どうしようもなくなった主人公は、盗んだバイクで走り出す。遠い遠い誰も知らない所へ。

  僕はこの映画を見てスカッとした。男らしくカッコいい、と素直に思った。と同時に、彼のように自らの信念に忠実な、ある意味で正直に生きている者は、社会からはゴミのように扱われ、端へと追いやられ、抹消される。こんな社会が本当に良い社会なのだろうか?という疑問も抱かせてくれた。

  いつも言っていることでもあるが、少数派は抹消される運命にある。多様性、多様性と口にする人は多いが、本当の意味での多様性とは如何なるかを理解し、自分の態度を変えている人はほとんどいないように思う。結局、自分の都合の良い社会であってほしいと願うわけだから。

  今の社会は多様性を受け入れる方向へ向かっているだろうか?それとも、同著圧力が強くなる一方で、知らず知らずの内に一つの枠に押し込まれてしまっているのだろうか。

  周りの友達が就活をしているのを横目に見ながら、自分の青春の光ともおさらばしなければならない日が着々と近づいているのだなと思い、記事を書いている。

  さて、僕はジミーのように、たとえ社会が理不尽なことを要求してこようとも、自分の信念を曲げずに立ち向かうか、現実であると受け入れ安定した生活を送るか、それとも、理想の地を求めて旅に出るか。選択が迫られている。